雑記

トルコ留学してました。最初は留学記のつもりでしたが、留学終わってからも書き続けたいとおもいます。

ガクチカ

「学生時代に力を入れた事はなんですか?」

「あなたが夢中になっている物事はなんですか?」

「あなたがこだわりを持って取り組んでいることはなんですか?」

これらは、就職活動を進める中で、企業のエントリーシート内で出てきた設問だ。どの業界のエントリーシートでも頻出であるこれらの設問に対して、私は明確な回答を未だ持てていない。私は21年間生きてきて、何かに”ハマる”ということがなかった。本は読むしアニメも観る。好きな音楽もあるし舞台もたまに観に行く。旅行もすれば、お酒を飲みにもいく。しかし、どれもオタクと言えるような知識もなければ、どれに対しても大したお金をかけたわけではない。実際、オタクと呼ばれるような人々にあったときは、特定のコンテンツに対する彼らの際限のない興味と情熱には感心してしまう。またある物事に対して、そのようなエネルギーを出せる彼らのことを羨ましく思ってしまう。私はそのような性格を持ち合わせていない。よく言えばフラット、悪く言えばなにもないのが私だ。

”ハマる”ものがないことに対して、今までも幾分か悩んではきた。自分自身から際限のない欲求が出てくるような物事を探し続けてはいた。今までそれは私の中の悩み事の一つにすぎなかった。けれども、就職活動をしなくてはならないこの時期になり、その悩みは現実的な問題として私の前に立ち現れてきた。企業はさも当然のごとく、特別に力を入れて取り組んだ物事や、興味をもっている事について問うてくる。まるで、そのような物事を持たない人間は社会にとって不必要だとでも言わんばかりに。本当にそのような人々が人類に不必要であるのかどうかは私にはわからない。けれども、何が不必要で何が必要かを断罪するのは世間であり社会だ。彼らが不必要だと感じれば、それは不必要なものとなる。特に私は社会に必要な存在でありたいと思うわけでもないし、世間の意向を気にするような生き方はしてこなかった。しかし、これから一人でお金を稼ぎ、生活をしていくためには、何かしらの貢献を社会にしなければならない。社会にとって必要な人間でいなくては生きていくことは出来ない。私は今のところ社会に必要な人間ではないし、上の設問に対する回答を持ち得ない以上、どうやら必要となる見込みもないらしい。

それに対して別に悲観しているわけではなく、ただそのような可能性を受け入れているに過ぎない。しかし、それなら私はどのように生きていけばいいのだろう。どこに行けばいいのだろう。それなりに勉強も出来て、優等生コースを歩んできたはずなのに。ここにきて急に私が社会に対して価値を持たないことを示されてしまった。今の今まで私はそれに気づけなかった。

就職活動の解禁までもう間もなくだ。私は何をすればいいのだろう。どうしたらこの短期間で、上の設問に対しての答えを持つような、社会に必要とされる人間になれるのだろうか。