雑記

トルコ留学してました。最初は留学記のつもりでしたが、留学終わってからも書き続けたいとおもいます。

反省ではないけれど、ここ二ヶ月程での気づき

心がとても穏やかです。

こう穏やかなときにブログを書こうという気には普段ならないし、いつも荒んでどうしようもない時に、心のはけ口として何かを書いたり、音声ツイートをしたりするのですけれど、今日はそういうわけではありません。とても良い心地でブログを書くことが出来ています。

なんでこう穏やかなのかというと、たぶん今日はバイトもなくゆっくりと自分のための一日を送ることが出来たからなんじゃないかと思います。

最近、というかここ二ヶ月くらいはとてもじゃないけど穏やかな生活はしていませんでした。執着し、そのために自分をすり減らせるだけすり減らしていました。

私はそれこそが愛であると思っていました。それは今もそうかもしれませんが。

自分のことをすり減らしてもよいと思えること、自分という自分を削ってでも相手の為になろうと出来ること、日常のすべての選択上の天秤においていつもある相手を優先することが出来ること、そうしてそれを心から良いと思えること、それが愛だと思っていたし、今でもそう思います。

しかし、そうすれば自分の心がすり減ることは自明の理です。正確に言うのであれば、そのような行動をとったときに自分が、それが明確な言葉として整理できていないとしても、真に心のうちに求めているものが手に入らなければすり減っていくと思います。

私は今まですり減るほどの自分を持っていると思ってはいませんでした。趣味と言えるものも特にはないし、ほとんどの物事が好き、裏返せば特別拘泥するものは私にはないと思っていました。そうして今でも明快にコレだ!というようなものはありません。しかし私も人間で、少なからず自身の心の指向性というものは存在するようでした。この二ヶ月間、私は自身の心の指向性というものを無いものとして扱い、一人の人を優先させてきました。今でもその選択がその当時において間違いではなかったように思います。そうして感じることのできた幸福感のようなものもまた実際にあったものであり、それを蔑ろにすることは出来ないと思います。しかし、そうすることは自身の生活を振り返ったときに全体として幸福であるとは言えなかったのではないかと思います。自分自身をすり減らすことで日常の選択をしているという事実を無視して、それを無いものとして扱ってきました。ある人を優先させることが自分にとっての完全な幸福であると信じていました。しかし、それは盲目的であったと今では思います。私は今でも私が真に何を求めているのかがわかりません。そうしてそのようなものは言葉として現れるものではないのかもしれません。しかし、少なくとも、私は私自身をすり減らしても求めているものは得られていなかったようです。もしくは、私自身が求めることというのは他者への愛のみで補われるものではなく、自身の指向性も含めなくてはならないのかもしれません。私が信じる究極的な愛と私自身の幸福というのは相反するものなのかもしれません。

あるきっかけがあり、私は私自身が信じる愛を体現することを意識的に止めました。私からそのようなものを受け取ることが必ずしも相手の為になるとは思えなかったからです。そうして徐々に日常の選択において自分自身を優先させるようにしていきました。見惚れた服を買ってみたり、煙草を気の向くままに吸ったり、違う物事について考える時間を意識的に設けたり。そうすることで相手との適切な付き合い方に戻そうとしました。結果としてはそのようになれたと思うし、また副産物として自分自身の精神の安寧も手に入れることが出来たと思っています。変に何かに固執することを止め、今までやってきたような気の向くままの生活を送ることは私の幸福にとっても良いものであるようだという事がわかりました。

今はまだ、金銭的に以前の執着のつけが回っているので、前のように自由に身動きをとることは出来ません。働いてつけをなんとかしなくてはならないし、所持しているお金もわずかなものです。しかし、それでも心は以前よりも穏やかです。自身の周りの人々、自然、芸術そのような様々なものに心を向ける事が出来ますし、それを楽しむことが出来ます。以前の二か月間であればそのようなものの良さを分かりつつも、それらを蹴り一人の人を優先させて来ましたが、今ではそのようなこともなく純粋にそれらを楽しめます。自分が蔑ろにしてきた物の良さを味わえているような気がします。

私は人を愛することで幸福になることは出来ないのかもしれないと思うと少し寂しい気はします。私がこの二ヶ月のように人に執着することなんて今までなかったし、そうできるだけの相手というのもそうそういないように思います。けれども、私はこれからもっと自分の為に何かをすることが楽しみです。一人でしたいと思ったその時に、全く自分自身のこと以外を考えずに散歩をしたりお酒を飲みに行ったり旅行をしたりすることが楽しみです。