雑記

トルコ留学してました。最初は留学記のつもりでしたが、留学終わってからも書き続けたいとおもいます。

スター

昨日コンテンツの家畜について書いた。今の自分はコンテンツの家畜だ。誰かに楽しませてもらっているだけの成人男性Aだ。世界は私を今泉耕祐と認識しない。成人男性Aだ。世界に、世間に何も生産していない、有象無象の中の一つだ。

スターになりたい。有象無象ではない、コンテンツを生産する側へ。周りの人々を魅了する側へ。世界に私を今泉耕祐として認めさせてやりたい。私は成人男性Aではないと胸を張って言いたい。

思えば幼少期から。目立ちたがり屋だった。いつでもそう。選択に迷ったとき、何か自由を与えられたとき。それは作文でもなんでも。他の人と一緒になることが怖かった。自分の色を出したかった。有象無象のクラスメートAになりたくなかった。

それは私にとって死を意味することだ。他人から私を私自身、今泉耕祐として認識されない。ただのクラスメート、ただの友人、ただの学校で見かける人。モブA。そんな世界に私はいない。そこにいるのは私の影。肩書だけ。生に満ち溢れた今泉耕祐は誰の目にも映らない。

だから昔から私は目立ちたがり屋であった。他人に今泉耕祐を認識させる為に逆張りをしたり、目立ちにいったりしていた。しかし、それを極められなかった。いつでも頭の片隅にあるのはリスクヘッジだった。今泉耕祐を認識させたい、けれども嫌われるのも怖い。たといそれがモブAでも、他人の頭からその私の配役が抜け落ちてしまう事が怖かった。世界から居場所がなくなることが怖いあまりに、自分の死を認めてきた。

昨日、自分がコンテンツの奴隷であることに気づいたとき、そのことを自覚した。恐怖が自分を殺していた。私はコンテンツ奴隷A。コンテンツを発信し、人々を魅了する人には名前がある。その個人として世界に認識される。生を認められる。

今の私には何もない。20年間で世界に誇れるような何事も築いてこなかった。とはいえ、自分を殺したままでいいのか。世界に自分の存在を認められなくていいのか。成人男性Aでいいのか。

違うだろ。どうせ儚い命。瞬きしてれば棺桶の中。苦心をなめたっていいじゃないか。スターになれなければ世界からおさらばしてしまえばいいだけじゃないか。どうせ死んでいるのと相違ないんだから。

生きる。世界に今泉耕祐を認めさせてやる。