雑記

トルコ留学してました。最初は留学記のつもりでしたが、留学終わってからも書き続けたいとおもいます。

日本を出て一か月

昨月の9/9に日本を発ち、今日でちょうど一か月になります。この一か月、私はなぜトルコ留学に来ているのか、自分はこの留学に何を求めて応募したのかを考えなおし続けました。確かに、私はイスラーム教に興味があるし、日本の私の学部だととても選択肢のない哲学の授業もこちらでなら、いくらか選択肢があります。でも、そんなことを理由に挙げてしまうのはなんだか違う気がします。それは、私の気持ちを説明づける為に自分で持ち出した言葉に過ぎないようなものである気がします。それよりも、なんとなく退屈な生活から脱したかったという方がより昨年の自分の感情とあっている気がします。2018年に明治大学に入学して以来、自分が何の為に生きているのかにすごく向き合わされました。私には必死にバイトをして友達と遊びまくりたいという思いもなかったし、哲学は思いのほかはまりましたが、もっともっと勉強したいという欲もなく、一年所属した意識高い系の学生団体途中から馬鹿らしく思うようになりました。しかし、それら全てが全く楽しくなかったというわけではなく、やっている時は楽しいと思う事ももちろんありました。けれども、それらの行動を見返したときに、とても空しくなります。私が行動してきたそれぞれは私の意志によるものというよりかは、その場の流れによって為してきたもののように思えます。その場その場で自分が意思を持っていたとしても、大きく見たときに、それは私の意志ではなく、ただ彷徨っているだけです。だから空しいのです。そのように自分を見ていたからこそ、トルコに一年間留学することは日本で惰性で暮らしているよりかは、自分が本当にやりたいと思えるものに出会えるのではないかと考えていたような気がします。こちらに来て一か月。私は持ち前のマイペースさを発揮して、日本と全然変わらない生活を送っています。ただ、住む場所が実家から四人部屋の寮になり、授業が英語になり、店員との意思疎通が出来なくなっただけです。私の心にはさほど変化が見られません。それも一か月しか暮らしていないからなのかもしれませんが。でも、私はこれからの残りの期間もマイペースに暮らしていくのだと思います。何も変わりません。これは変えようとするかしないかという意思の問題ではなく、”ただそうなってしまう”ものです。人間そう簡単に変わることなんてないのかもしれません。というか一生自分は自分なのかもしれません。自分のマイペースが環境が変わるくらいでは何とも響かないように。