雑記

トルコ留学してました。最初は留学記のつもりでしたが、留学終わってからも書き続けたいとおもいます。

あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。アンカラではクリスマスと同様に正月感がありません。2日からテストがある人もいるくらいで、少し寂しい感じがします。毎年おばあちゃんの家に行き、親族と会っていた時間が今では少し恋しいです。日本にいるとちょっと面倒くさく感じていたんですけれどね。

 

こないだ始まった留学も気づけば半分が終わろうとしている。僕は一年間の留学なのでまだ半分あるわけだけれど、日本からトルコに留学している人の多くは半期の留学なので、彼らからしたらもう別れが目の前に来ているわけだ。悲しいことですね。

 

元来留学というのは手段である。というのは、留学はそれ自体が目的となるものではなく、留学での経験をその後の生活に活かす必要があるものであるという事だ。留学して終わりではない。だからこそ、留学の前の面接では留学先で何をしたいか、留学をその後のキャリアにどう結び付けたいかなどの事が問われるわけだ。

僕は倍率0.5倍の激戦をくぐり抜けてこの留学に来ているので、もちろん上のようなことを面接で聞かれた。今は覚えていないほどの即興物ではあったけれど。

僕個人としてはこの留学を今後の生活に活かそうという気はない。僕は日本に帰ってからもやりたいことがあるわけではないし、ただ”トルコに住む”という非日常的なフレーズにある種の憧憬を抱いたから来ているだけなので。

それでも一応留学生という身の上であるので、自分がトルコでの生活で何を得てきたのか、何を学んだのかという事については時たま考える。

しかし、いつ考えても、これと言って成長した点は思い当たらない。学問には相変わらずの怠惰な姿勢で臨んでいるし、英語力に関しても端からネイティブレベルを求めているわけではなくモチベーションがないので特に成長も見受けられないし、カルチャーショックも受けていない。この半期のらりくらりと暮らしてきたなあと、ただそれしか出てこない。そりゃ成長なんてしないわけですよ。

 

それでもわかることは、何の気なしにのらりくらり暮らせるほどには自分の適応力が高いという事。東京での実家暮らしとアンカラでの寮暮らし。環境はガラッと変わってしまったけれども、変わらず自分を保てる。このことは生活環境を変えて初めて気づけたことだ。なんとなく自分は適応力が高そうだとは思っていたけれど、留学に来てその事に自信が持てた。

 

しかし、そのような適応力を発揮するということは、同時に僕が如何に僕自身の外のことに対して重要性や関心を置いていないかを表している。外のモノに拘りがあるからこそカルチャーショックがあるわけで。僕のような拘りを持てない人にはそんなものは訪れない。外の事に対して感情が揺さぶられることがない。

それは果たして良いことなのか?確かにどこでも住めたりストレスを抱えたりすることは少ないのだが、こんな人生のどこに面白みがあろうか。外のモノに一喜一憂するからこそ人生は輝くのではないか。

どのような小説でもアニメでも、僕のような拘りのない登場人物はいない。物語の世界には、何か自分自身の外のことに対し一喜一憂するような人しかいない。それはつまり、一喜一憂できる人の人生しか面白みがないという事ではないか。僕も自分のような人が出てくる小説などを読んでもつまらないのではないか。

 

しかし、そのようなことを考えたうえで、一喜一憂したいと思うけれど、それは僕にとって可能なことなのか?少なくともトルコに来るくらいの非日常ではだめだった。揺さぶられることなどは何もない。何をすれば自分は外のものに揺さぶられるのか?わからない。何かに対して涙したい。喜びたい。苦しみたい。自分は泰平なんぞこれぽっちも望んでいない。だってつまらないから。

 

ってことで改めて、あけましておめでとうございます。まだまだ未熟者ですが今年も仲良く接してくれると嬉しいです。今年も特にやりたいことはないのですけれど、一回くらい感情の動きで泣いてみたいので、それを目標に据えてこの一年を送ろうと思います。

気づいたら年の瀬

”大切な人と過ごす”とかいう忌々しきクリスマスも終わり、気づいたらもう年の瀬です。僕は昔からクリスマス→大晦日→お正月の怒涛のラッシュで人や町の雰囲気がガラッと変わるのが好きで、この時期になると心も穏やかになり家族や友達の大切さなど、柄にもないことを想ったりしたものでした。アンカラではあまり雰囲気が普段と変わらないので、そこは少し寂しいです。

 

年の瀬という事で、2019年を振り返ろうと思い文章を書き始めたけれど、正直に言えばやり残したこともビックニュースもあまりない。せいぜいドイツの風俗で童貞を卒業したくらいのものだ。それ以外のことは、もちろん記憶としては残っているけれど、それはただの出来事の記憶としてしかなく、自分の心の動きや感動などまでは思い出すことが出来ない(本当に心が動いていたのかという事は甚だ疑問に残るのだが)。

 

僕にとって過去とは確かに自分が通ってきた道ではあるけれど、認識できるものでもないしさして重要なこととは思えない。出来事の記憶はあるけれど、本当に大切なのはその出来事によって生じた自分の心であって、”今”が”過去の記憶”になった時点でその大切なものは抜け落ちてしまうような感覚がある。

 

それというのは、僕たちが記憶するとき言葉としてしか残しておけないからであると思う。例えば、部活の引退試合で負けたときの記憶があるとする。僕たちはそれを「悲しかった」「悔しかった」等、色々な言葉を尽くして表現しようとする。けれども、その時の気持ちというのはそんな言葉に表せるものではなくて「部活で練習してきたこと」「ずっと練習してきたのに思うようなプレーが出来なかった事」など、無数の出来事やそれに付随する感情が混ざりあったものであり、その本人にしか感じ得ないものである。

言葉というのは僕たちにとって、本来的には外から与えられた枠組みに過ぎない。そして、そのようなもので自分の感情を表すことは出来ない。どんなにぴったりはまる言葉を見つけられたと感じても、言葉になった時点で本来の感情とは違うものになってしまう。

 

だからこそ、この一年を振り返ったときにも、「タバコを始めた」「青春18切符で一人旅をした」「トルコに留学をした」等々、様々な出来事はあるのだけれど、どれもが無機質な出来事でしかなく、さして大切なものには思えない。その時大切にしたい気持ちがあったのかもしれないけれど、そんなものはとうの昔に抜け落ちてしまって、今の僕の頭には残っていない。

 

まあ、長ったらしく色々な事を述べてはみたけれど、要はなーーんも覚えてないってこと。言葉としての記憶しかないから。

でも、そう思うと寂しくなりますね。自分がどんなにその時悩んでも、嬉しくても悲しくても、そんなものはすぐに消えてなくなっちゃうんだから。過去を慈しむことすらさせてもらえない。

 

みなさんはどんな2019年を送りましたか?僕の最後の10代はあと10日ほどで幕を閉じてしまうのですけれど、上に書いたように無為な1年を送ってしまいました。まあ、それはそれでいいんですけれどもね。

遺書

まず、自分が死ぬにあたって、何よりも気がかりなのは私を育ててくれた両親と慕ってくれた弟のことです。私にとっては、他の誰よりも、彼らが苦しむことが耐え難く思います。自分が死という選択をこれまで選んで来なかったのは、その彼らの苦しみを思うからに他なりません。生意気であり、ひねくれて育ってしまったという事だけでも僕には彼らに対して罪があるのに、それをさらに僕自身の死によって彼らを苦しめるというのはどうしようもなく自分勝手な行動であり、その点においてだけは自分の行動に対し後悔の念を感じずにはいられません。お母さん、お父さん、そして草祐、本当にごめんなさい。

そして、幼少期から私のことを見守ってくれたおじいちゃんおばあちゃん、おばさんおじさんにも謝らなきゃいけません。こんな風に育ってしまったこと、自分で死を選ぶという事があなたたちが私に向けてきたあたたかな態度の応報だと思うと、何とも不条理に感じ、それを生み出すことになってしまった自分の事を責めずにはいられません。

 

お母さんは私の人生において一番の理解者でした。遺伝的にも性格的にも、私はお母さんのものを多く引き継いでいたからなのかもしれませんが。僕が人生において選択をする際や、本当に些細なことでも、お母さんほど意思の疎通が取れる人はいませんでした。お互いあまり色んな事を口にするわけではなかったけれども、それでも通じあっているところがあったように感じます。

お父さん。お母さんとは全く違う性格だけれど、私が喋っていて楽しいと感じるのはやはりあなたでした。私やお母さんよりも感情的だけど、その分喜びを私達より大きく感じられるし、それでもお母さんと結婚したことがうなずけるような思慮深さがあったことも知っています。お父さんをこんな形で泣かせてしまうと思うと、私もとても悲しいです。

草祐。私たちは年が離れているし、私の性格もひねくれていたので、時にはストレスをかけたと思うし、悪影響も多く与えてしまったのかと思います。けれども、大学などで友達も少なかった私にとって、いつでも慕ってくれる草祐といる時間はとても楽しい時間でした。忙しくてあんまり遊べないときもあったけれど、これからいい人生を歩んで行ってくれることを切に願っています。

 

私がこの書で特に述べたいことは以上の事です。その他私の事は特にどうしようもないことであると私は感じるし、彼ら以外に私の死を、心から悲しんでくれるような人はいないと思っています。彼ら以外にとっては私の死など、時間が経てば忘れていくものであるし、私がいようがいまいが何も生活に変化もないことだろうと思っています。

それでも、私に愛を感じてくれる人がいたならごめんなさい。本当にごめんなさい。知らず知らずのうちに、あなたたちの愛を無下に扱ってしまう事があったとするならば、家族を苦しめることと同等の罪であると感じます。

それでも、私はこう思うのです。私はこれまでの人生で家族以外からの愛を感じることが出来ませんでした。

 

私が死を選ぶにあたって、特にこれといった苦しみがあったわけではありません。私は苦しみ故に死を選ぶのではなく、享楽の欠落故に死を選ぶのです。

私は、常に思っていたのですが、人生に対して一種の空虚なものを感じます。私はこの世に産み落とされて、あと数十年で寿命を迎える。ただ、その生命の循環の中に巻き込まれてしまっただけのように感じます。私たちは一日の大半を物を食べ、排せつをし、睡眠をとります。私にはその繰り返しがとてもつまらないものに感じたし、そこに一切の感動をも感じ得ません。また、生命活動だけでなく、学校に行き、たいして興味もない話を聞き、そうして気が付けば受験やら就職活動やらで、したくもない努力を周りに流されてやる。それがどうしようもなくつまらなかったのです。

私には心からやりたいと思う事がありませんでした。やりたいと思ったことも、気が付けば僕の頭からは抜け落ちていて、その欠落を感じる度に、自分の人生の彩のなさを感じていました。

何のために生きているのか。生命の循環の中にある私たちにとって、それは「楽しむこと」以外の解を得ることは出来ないと思います。それは、いわゆる「人助け」をしている人についても言えることで、彼ら自身が倫理的に生きたいからこそ、「人助け」をすることで自分を楽しませているのだと私は思います。ここについては多くを語ってもしょうがないので、書きません。

そのように考えているからこそ、私が私自身に本当にやりたいことがないことを自覚すると、その度に人生に対してどうしようもない空虚さを感じていました。それは私の自我が着実に芽生えて以来、いつも付き合わされてきた問題でした。

時には、一時的にどうしようもなく何か(私は特に女性に対してこのような思いを抱くことが多かったように思います)を欲し、それが得られない(得る自信がない)ことで鬱になることもありました。しかし、それらは一時の感情であり、寝れば忘れているようなものでした。だからこそ、寝て起きて、自分の感情が弱くなっている事を思うと、その度に「ああ、長い目で見れば自分にとって些細な事だったな。」と感じて、はたまたどうしようもない虚しさを感じていました。一夜寝るだけでは忘れないようなことでも、一か月二ヶ月、一年二年経てば、その強烈な欲求は確実に失われていったし、今持っている感情も、そのように歳月が経て失われるという確信があります。

私にはそれらのことが虚しかったのです。生きている理由がなかったのです。

 

 

ちょっとここらで終わりにしておきます。この手の事は頭が疲れるし、30分や1時間でやるものでもないと思うので、中途半端ですが終わりにします。また書く気力が出た時は更新という形で続きを書きたいと思います。

僕は自分の人生を振り返るなら、遺書を書くのが一番だと思っているので、なるべく本当の気持ちにそって書いたつもりです。それでも、本当に死を前にした人の緊迫感のようなものはないので、自分が自殺を選んだ時に書く文章とはまた違っているのではないかと思います。

今のところ自殺の予定はないです。けれども、上に書いたようなことを常日頃抱いているのは本当です。書いた通り、そんな気持ちの中、僕が自殺を思い留めているのは、僕の家族からの愛と彼らに対する恩ゆえです。あとは、自殺をするほどパッションがあるわけでもなく、ただ虚無を感じるだけなので、死のうが生きようがどっちでもいいという思いもあります。

もし、僕のこの文章が不謹慎であるのなら、謝ります。そしてこの稿は非公開とさせていただきます。

勉強したくない

昨日はアンカラの日本人会の忘年会があり、会の後も留学生たちで深夜3時くらいまで飲み歩きました。おかげさまで今日は授業(午後だったけれど)を切り、ひたすらぐーたらする羽目になりました。まあ、トルコ留学中とは言え、僕は勉強しに来ているとは微塵も思っていないのでいいのですが。

 

勉強する気がないとは言え明日は取っている2つの授業のうちの1つであるHistory of Scienceの試験があるので、布団でだらだらと課題の本を読んでいた。内容は主に天動説から地動説に至るまでの系譜を、古代ギリシアの文化から順々に遡るといったものだ。面白いと言えば面白いんだけれど、英語で読んでいることもあってか、つまらないと感じることの方が多い。それでも、読んでいるのはテスト前に勉強していないとわずかながらにも罪悪感を感じるからだ。

 

しかし、このように罪悪感に強いられて勉強をしていると、自分がなぜこんなことをしているのかわからなくなってくる。

僕は幼少期からそこそこに勉強ができたので、特に苦労をすることなく、様々な知識を吸収してきたし、そのおかげで第一志望ではないけれど、すんなりと明治大学に入ることが出来たし、そのおかげでこうしてトルコで生活することが出来ている。

けれども、今日にいたるまでに吸収してきた知識というものは果たして何に役立ってきたのだろうか。もちろんそれによって今のようにそこそこの大学に入り留学を出来ているわけだけれど、そんなことは知識によって得ることの出来た、社会的な副産物に過ぎない。知識それ自体が自分の精神を豊かにし、人生を幸せにしてきているとも思えないし、はたまた僕の得てきた知識が人の役に立っているとも思えない。

 

僕はこのような”知識それ自体の意義”に対する問いを昔から抱いてきた。特に高校生の時はそれに真剣に悩まされた。けれども、大学受験を控えていたためか、はたまた解答に困ったためか、先生には「そんなことは考えるな。勉強が手につかなくなるから。」と言われてきた。それは、一見正しいようでもあるけれど、あくまで知識を得ることでの社会的副産物についてしか言及しておらず、僕の抱いてきたような知識それ自体の意義に対する解答にはなっていない。殊更に大学での勉強においては、高校の時のように問いから逃げることは出来ない。なぜなら、特に僕のような文系大学生(しかも哲学を主に勉強している)にとって、勉強の成績が社会的副産物につながるという事はほとんどないからだ。まあ、単位を取らないと卒業できないので、その点では勉強が社会的副産物にはつながるのだが。

 

僕は今まで勉強それ自体の意義を”楽しいから”としようとしてきた。実際、哲学や人類学には興味深いと感じることがある。けれども、そうしてしまうと、勉強の意義はあくまで自分が「楽しい」と感じたときにしか存在しない事になり、今のようにつまらないと思う時は向き合う必要がないことになる。またそれでは、自分自身の趣味の範疇を出ない。そこに知識それ自体の普遍的な意義というものはない。もし享楽というのが学問の意義であるとするのならば、「楽しい」と感じていない僕に対しても勉強を強いてくる大学と矛盾してしまう。

 

知識に対してどこか空虚なものを感じていしまうのは僕だけではないはずだ。僕の好きなイランの詩人のウマル=ハイヤームも、高名な学者でありながら、人生それ自体へのもの悲しさを詠っている。

幼い頃には師について学んだもの、

長じては自ら学識を誇ったもの。

だが今にして胸に宿る辞世の言葉は──

 水のごとくも来り、風のごとくも去る身よ!

(小川亮作訳)

 

勉強をして何になるのか。つまらないと感じながらも知識を入れることに何の意味があるのか。それをしたところで、僕の人生が豊かになるわけではないじゃないか。

 

と思うわけです。そんなこと考えていたら勉強なんて進みませんよね。知ってます。明日のテストはひどい点が返ってきそうです。まあ、こんなブログを書いた後、これから勉強に精が出るはずもないので床につこうと思います。単位、ばいばい。

期待するな。惰性で生きろ。

週に2つしか取ってなくても、授業ってさぼりたくなるものですよね。不思議です。でも、授業をさぼった日っていうのは、何かしらその日の意味を見出したくなるもので、とりとめのないことや自分のことをゆっくり考えたりしたくなる。だから、こうしてブログとして、自分の考えを残しておこうと思うわけです。

 

僕は根っからの中二病なので、大学二年生となった今でも、中学生の時から変わらず、自分がなんで生きているのかという事をしばしば考える。考えても仕方のないことだし、そんなことしてないで勉強なりなんなり、役に立つことをしろよって話だけれども、それでも考えてしまう。だって、「役に立つ」という事には当然目的があるはずで、その目的を考えていくと最終的には「生きる目的」に結びつくような気がするからだ。

 

「生きる目的」というように大それた問いを立ててしまうと、その解に対しても大それたものを求めてしまうという事に最近気づいた。「○○のために僕は生きているんだ!!!」というようなもの(ここでいう○○)を求めてしまうことに気づいた。

しかし、そんなものを求めているけれど、果たして僕にとってそのようなものはあるのだろうか。僕は盲目的に「自分の人生にも目的があるはずだ」と思い込んでしまっているけれど、そんなものがあるという根拠はどこにあるのだろうか。そんなものもちろんない。僕が小説や映画を通して、それらの世界と自分を重ね合わせて、夢を見ているだけのことに過ぎないのではないか。

 

今までいろいろなものにその夢を抱いてきた。恋愛、勉強、SEX、旅行、食事、友情などなど。それらのことに、生きたいと思わせるようなある種のエクスタシーがあるのではないかと期待をしてきた。

けれども、そんなものを期待しているからこそ、いざ現実としてそれらを経験したときに虚しさを感じるのではないだろうか。大きな期待をして現実のハードルを上げてしまっているだけのことではないか。

もうそんな夢はさっさと捨てて、のらりくらりと大した目的も享楽も悲嘆もないまま生きていくのが正解であるような気がする。ないものを求めてもしょうがない。

 

この世にエクスタシーなんてない。「生きたい!」と思わせるような何かなど存在しない。それは、僕が見ている夢であって、本当は誰にもそのようなものはなくて、みんなのらりくらりと惰性で生きているだけなのではないか。

 

他人の腹の内なんてわからない。だからこそ、分からないからこそ、そこに何かあるのではないかと期待を寄せてしまっていたのが今までの自分だ。「他人は思い悩む事もそんなになさそうに、楽しそうに生きているように見える。彼らは生きる目的に足るような享楽をもっているに違いない。」そう思ってしまっていた。ただそれだけだ。

 

他人にもそんなものはないと思えば、人生に目的などはなく、ただ「死ぬのが面倒くさいから」というその一心において生きているのではないかと考えられる。誰もが「生きる目的に足るような享楽」などは持っておらず、ただ何となく、そこそこの楽しみとそこそこの悲しみで生きていると考えられる。

 

そう考えるからこそ、「私は○○がなくちゃ生きてけない」とか言っているような輩に対して不信感を抱いてしまう。「お前らホントにそう思ってるんか?それは、自分自身にそのような暗示をかけているだけ、もしくは自分自身の心に嘘をついているだけじゃないのか?その○○はお前が病みつきになるような享楽なのか?」と疑ってしまう。

 

という事で、もう自分の人生にヘンな期待を寄せることはやめることにした。生きててつまらないとも思うけれど、人生なんてそういうもので、ただ死を待つだけ。

もちろん言葉ではそう言えるけれど、今まで抱いてきた期待を今この瞬間からさっぱりと捨てることは出来ない。でも、これからはこのことを肝に銘じて生きていこうかな~と思うという事だ。

 

僕は過去にも今にも未来にも、そこそこの悲しみとそこそこの喜びしか経験しないんだろう。心がしびれるような、強烈な経験というのは来ないのだろう。

 

思うのですけれど、こんなことを考えてたら、そりゃ授業さぼりますよね。惰性で生き続けてるだけなのだから、わざわざ苦痛を伴って知識なんか得てもしょうがないですもの。哲学もインドの古代史も宗教も、学んだってしょうがない。とは言え明日も暇です。暇で仕方ないです。明日はちょっとくらい勉強してあげてもいいかな?

酒のむしかねぇ!!!

先週の土曜日だったか、自分のキャパシティを大きく上回る量でお酒を飲んでしまい、めちゃめちゃハイになりその後ガチガチに潰れました。いやあ、その節では色んな人に迷惑をかけてごめんなさいと心の中で思っているつもりなんだけど、ちゃんと飲んだことで味わえた全知全能感には他のものでは味わえない快楽があって、内心またやりたいなあと思ってしまう自分がいます。

 

久しぶりにめちゃめちゃ楽しいと思ったからこそ、僕はそれを反省しなくてはいけない。趣味も特に好きなこともない僕の人生において、享楽を得られたということは、それ一つ一つが大きな出来事であり、そこに再現性を求めることは自分の人生を豊かにする鍵になるのではないかと期待してしまう。

酒に酔った時の全知全能感とはどういうことか。有り体に言えば、「気が大きくなる」という事だが、それはつまり「他人を恐れなくなること」であると思う。

 

僕は小さい頃から他人の目をすごく気にする性格を持っている。なので、子どもの時も親に言われるでもなく、ずーっと優等生を演じてきたし、今でも祖父母などに会うとその”優等生キャラ”というのが抜けてこない。

また、それはこの家族に対する”優等生キャラ”というものに限らず、突き詰めればすべての行動に対して同じことが言える。常に集団や相手との自分の役割というものを見定めようとし、それに合うような行動を選択してしまう。

例を挙げるとすると、気になる異性をご飯に誘いたいとする。そうしたとき必ず「この人は自分を異性としては見てないのではないか。そうした時、もし僕がそのような感情や行動を表してしまったら、彼女と僕の関係においての僕の役割から逸脱してしまう。」と考えてしまう、といった具合だ。関係性における自分の役割からの逸脱というものを恐れ、自分の行動を選択してしまう。なので、上の例において僕が気になる異性(異性に限る必要もなく、男友達でもそうなのだが)を自分から誘えることはまずない。相手側が「自分に対して何かを誘って来る」など、相手の自発的な行動を注意深く観察した上で、自分の役割の許容範囲というものを見定めて、その範囲内と思われる行動でしか他人と関われない。

わかりやすくする為に異性関係を用いたが、これは全てのことに当てはまり、本当に些細な「隣の人にペンを借りる」などの行為でも同様に考えてしまう。

 

では、なぜ自分の役割を見定めようとするのか。それが他人へ干渉することへの恐怖心だ。僕は他人が怖い。仲良くなった人でも、その腹の内をわかったことなんてないし、何がその人の気分を害するのか、何に喜びを感じるのか、そんなことはわからない。自分でさえ、こうして色々考えてみても未知なことばかりであるのに、他人なんてわかるはずがない。けれども、そんな未知の他人にさえも、自分は嫌われたくないと思ってしまう。他人からの承認というものを失ってしまったら、自分という存在がまるで確立されなってしまうような恐怖感がある。だからこそ、自分が他人に対してある欲求がわいたとしても、「これ以上を望むな」と自分を丸め込もうとし、現状の役割から逸脱しないような行動を選択する。

 

しかし、このような自分の選択では満たされない事を、19年生きてきてやっとわかってきた。僕も人間であるから、人間同士の関係というものに対してはとめどなく欲求が生まれるし、いくら「これ以上を望むな」と自分に言い聞かせた所で、欲しているものは欲しているのだ。自分の内から湧き出てしまう欲求をないものにすることは出来ない。その事実を、自分でも認めないように努めて過ごしてきたけれど、認めなければならない。それは、自分に対して誠実な行為ではない。自分の欲求に対しても誠意をもって向き合わなければいけないように思う。

 

と、頭ではわかっているんだけど、そう簡単に出来るわけはなくて。だからこそ、この間めちゃめちゃに酔っぱらって、他人に対する恐怖感とか、自分の役割の憶測だとかを考えられなくなったことで、全知全能感を味わったわけで。また、その感覚に代えがたい快楽を覚えたという事は、裏を返せば、素面の自分が如何に他人への恐怖感に縛られているのかという事がわかってしまう。

 

 

ブログで考えた事とか、自分の問題点とかを書くんだけど、結局いつも解決には至らないのが何とも悲しいですね。なんか、「これが解決策」っていうものを結論付けたところで、結局的外れになっちゃう気がするんだよね。まあとりあえず、今回は「酒飲むしかねぇ!!!」っていうのを解決策として、このブログを締めたいと思います。あと、トルコでは飲酒は18才からなので安心してください、合法ですよ。

記憶と実感

ここ3日くらいとても寝つきが悪い。僕にとってはこのような経験は初めてで、トルコでも平気で5時間昼寝をしても夜の9時には寝れていたくらい寝つきには自信があったのだが、最近はどうも上手くいかない。今日もとても強い眠気を感じ、10時前には布団に入ったのだが、目をつぶってもずーっと頭の中に様々な光景がよぎって寝れなかった。それは「愛とは何か」「自分はなんで生きているのか」などの考え事のような類ではなく、もっと妄想に近いような類の映像のようなもの。過去の様々な出来事において違う選択をした時の自分や、近い未来(トルコでも日本に帰ってからも)で起こすかもしれない自分の行動などが延々と頭の中で再生される。

こういった眠る前の頭の働きというのは不思議なもので止めようとすればするほど、とめどなく湧き出てくるし、止めようとしなくても延々と再生は続く。

時折寝るのを諦めて、目を開けて白い壁と窓から見える星を見るのだけれど、それらのものは僕を眠りに誘うことはなく、寧ろ新しい考え事の種になる。

 

その時決まって浮かんでくるのは「なんで自分は今トルコにいてベッドに寝ているんだろう」という事だ。

過去の自分は確かに自分の意志で留学を決め、この地を選んだ。だからこそ今自分はここにいる。その事実は僕の記憶の中にもあるのだが、それがどうも現在の自分と結びつかない感覚がある。まるで、いつの間にか別の世界に瞬間移動してきてしまったような感覚だ。なぜ自分がここにいるのか理解が出来ない。

思えば、そのような感覚は留学で住み慣れていない環境に生きているからこそ強く感じるだけで、日本にいたときも少なからず感じることはあった。「なぜ自分は今この人とご飯を食べているんだろう」「なぜ自分は今明治大学の授業を聞いているのだろう」「なぜ今自分はコンビニエンスストアでバイトをしているのだろう」。

もちろんすべての行動には動機があるはずだ。そうして思い返せばいくらか動機は思い出せるのだが、その動機と自分の現在との因果を、頭の中では結びつけられても自分の心の中では納得しきれない。

 

僕は人生における様々な場面において、自分の意思をもって自分の行動の選択してきたつもりだった。それでも、このようなありさまだ。確かにあったはずの自分の意志は、思い返してみるとただの抜け殻のようなものに過ぎなくて、中身はどこにも見当たらない(この”中身”というものこそが、記憶を自分の実感として蘇らせるのに必要なものだと思っている)。

 

僕は僕自身の意思というものを持っているつもりだったが、果たしてそんなものはあったんだろうか。よく「他人に流されず、自分で自分の未来を決めろ」的なことが、所謂”意識が高い人々”によって叫ばれるが、人生の選択というのはそのときそのときの一瞬の感情、それも外的影響によってもたらされる衝動のようなものに大きく左右されるのではないだろうか。だからこそ、思い返してみたときに、記憶がただの抜け殻で、確かな自分の意志としての中身がなくなっているのではないだろか。

 

このようなとりとめもないことを考えていると、トルコで出会った大好きな教授が「人間は宇宙の果てのことまで解明しようとするけれど、一番近い自分の心さえも全く分かってないじゃないか。」と言っていた事を思い出す。本当にその通りで、いくら考えても謎は尽きない。自分の空虚な心も、自分が過去と現在の因果を実感できないことも、何もかもわからない。上に書いているように、いろいろな推論をしてみても、パズルのピースのようにカッチリはまるような納得感は得られない。

 

 

夜も更けてきました。どんなに眠れない夜でも、結局僕は人間なので眠らなくてはいけません。毎晩毎晩同じように眠らなくてはなりません。これを死ぬまで繰り返していかなくてはなりません。そう考えると、睡眠は鮮やかさの欠片もない空しい行為のように思えるけれども、眠らなくてはなりません。

なので、今日もいつもと何ら変わらないベッドに戻ります。おやすみなさい。